傷つく
先日、ふと見たテレビで「赤ちゃんがいます」と書かれた
マタニティマークについて取り上げていていて
冒頭で「そんなのいらないんじゃない?」という
60代の女性たちのインタビュー映像が流れてショックを受けました。
その女性たちにでなく、番組を作った側にショックを受けました。
狙いはマタニティマークを持つ人の擁護ということでしょうか。
構成するのにあたり着地点をどこに持っていくということは必要なことです。
ただ本当にそんなことを思う人がいたとしても、
否定するような言動の年輩女性を連続で登場させたら、
おなかに赤ちゃんのいる女性はもちろん
これから産もうとする人は年輩の女性を無意識に脅威に感じるのでは?と…。
もっと肯定的に取り上げて欲しかった。
どうしてそんな否定の道を選んでしまったのか。
やり方が他になかったのかしら。
わたしアラフィフですが、もちろん席譲ります。
10人聞いて何人が否定的な答えをするのか普通に考えればわかること。
命ってすごいことです。
弱いものを助けるって日本ではごく当たり前なことではないですか。
亡くなった義理父が「歳をとると誰の子とか関係なくただ命がいとおしくなる」と
言っていましたが、その通りだと思います。
対立軸を作って善悪ジャッジの土俵に持ち込む構成は
それは短い時間でわかりやすいかもしれない。
でも上から押さえ込むようなそんなやり方、みんなが傷つく。
「裏山の熊」で突っ込む立場でないとわかっていますが、
「批判をするのは簡単」だとわかっていますが、
世の中いろいろな人がいて当然で、善悪をつけることはできないけれど、
少なくともわたしはそのテレビ番組で傷つきました。
ラリマー♪
世の中は愛に満ちていると、思うなら
そこは愛に満ちる。
世のなかが拒絶と批判に満ちていると、思うなら
その世界にいることになる。
よく考えてみると、
「どこに存在するか」の選択は自由にできますね^^
傷ついている時間がもったいない!
立ち直り早っ。